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12月1日(その3)。
伐採跡を降りて林道を上がる。途中、去年見付けたヌタ場があった。しばらく使っていない形跡だ。界隈は鹿とイノシシの足跡が入り交じっている。どちらも小さな個体が殆どだ。 「やっぱり、居ないってことは無いですね」 「水上からしたら、信じられないぐらい居ますよ!だって、通いだらけじゃん」 しばらく上流に行くと、砂防ダムがある。去年は足音を忍ばせてそこまで上がった途端、僕に気付いていない牡鹿が二頭、75m向こうを走っていったっけ。慌てて発砲したものの当たらずに悔しい思いをした。でも今にして思えば、あの時は当たらないで良かった。キチンと解体出来ていた自信が無い。 今回は鹿が飛び出すという事は無かった。この界隈まで来ると跡が極端に減る。ここで一旦休憩を入れて、そろそろ左の林道に向けて山を越える事にした。途中山並みを見ていて、大体この辺りかなという見当を付けていたのだが、休憩した場所辺りからノンビリとした尾根が出ている。林道は登りだったので、ここから入った方が楽だろう。地図上でもそんな感じだ。 「じゃあ、ここから入って、ここでピークに上がって、尾根を回りながら伐採跡の斜面を探しますか」 「OK。それでいきましょう」 立ち上がった瞬間、反対側の山から鹿の警戒音が「ピイー!」と響き渡る。左に巻いて走っていった気配がする。 師匠が左に忍びながら「右から回って」と合図する。 山のすぐ下は川が流れていて、対岸に枯れた芦原みたいなのが30mほどの幅で続いている。砂防ダム沿いに、そっとその芦原に降りていって川に近づく。師匠は林道を遡って大きく巻こうとしている様だ。 川沿いに出ると細かい砂の河原になっていた。二頭の足跡がある。一頭は今年生まれた子供の様だ。辺りを伺いながら近づいて見ると、跡のエッジが非常に鋭利で、たった今の跡だと分かる。試みに息を吹きかけるとエッジが崩れる程だ。 近くによく茂った杉らしき樹が二本ある。足跡はそこから出て、対岸に渡りやすい浅瀬に出てから一気に渡っている。逃げた個体のものだろう。親の跡と子の跡が微妙に違うコースなのは、もしかしたら親が先に逃げて安全を確認した後に子を呼んだのだろうか。それとも子から僕らを離そうとして、オトリになる為に警戒音を出して、この隠れ家から注意を逸らしたのだろうか。それにしても本当に群れの数が少なくて驚く。 「こんな少ないなら牝や子供は撃ちたくないな・・・」 ぼんやりとそう考えながら、鹿の逃げていったルートを追っていく旨、師匠に無線を入れる。が、返事が無い。林道を見ると、師匠のベストがポツンと置かれている。無線はあの中か・・・ 当日はとても暑い日で、僕よりも余分に右に左に動き回っていた師匠は大汗をかいていた。それをぬぐう為に上着を脱いでいるところに鹿が出て来たのだ。 鳥の声に耳を傾けると、どうも師匠は左側から山の斜面を上がっていっている様子。 無線が無くてもお互いに目は悪くないし(*)、誤射は無いだろうが、獲物の後ろにいつの間にか相手が居るという危険もある。互いに山の中で距離を詰めるよりも、自分は潜んでいて落ちて来る獲物を待ち構えている方が得策と判断。すべての通いが見渡せる堤防の上に上がって身を低くして待機した。 しばらくして師匠のオレンジ色の帽子が木立の中から見え隠れし始める。弾をすべて抜いて林道で合流。 「だいぶ追いかけたんだけど。途中から跡がグチャグチャで分かんなくなった。山をずっと越えていったみたい それにしても水上の鹿とは大分動き方が違う。大体、なんであの状況で鳴くのか、意味が分からない。なんでなんだろう?」 師匠の息と汗が落ち着くのを待って、予定の尾根を上がる事にする。 〜つづく〜 (*)師匠は2.5以上らしい。 僕の場合は、この前日の11月30日に作った眼鏡での矯正視力だが2.0。 すべての人が、度を強くすれば2.0が出るという訳ではなく、眼本来の力というものがあり、例えば本来の力が0.9の人が、それ以上に度を上げたところで、0.9以上に見える事は無いし、逆に歪み等で見えにくくなる。矯正で無理無く2.0まで見える人というのは少ないそうだ。 今度のフレームはレイバンのクラシックメタルの58mmにした。 ■
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by oglala-beads
| 2009-12-12 14:45
| 師匠との初猟
12月1日(その2)。
用意を整えて出発。猟モードに入ったせいか、腹ごしらえが出来たからか、車内のテンションが高くなる。 師匠の仕事の話になる。 旅館だけでなく、師匠自身が最近各方面で高い評価を受けているらしく、著名な玄人達からの様々なリクエストも多いらしい。 「・・・で、その会合の最後に、”達也さんの声が聞きたい”って言われて」 「しゃべったんですか?」 「しゃべりましたよ!」 「何しゃべったんすか?」 「忘れちゃった!」 よく、僕の仕事に関しても「すごいですね!他にはありませんからね!」という褒め言葉をもらう事があるが、ひねくれている僕からすれば、これは褒め言葉には思えない。師匠もそういう言葉をもらうみたいで、それに対して師匠がどう思っているのかは聞いていないけど、僕自身の事は置いておいて言わせてもらうと、 「他に無いからすごいんじゃない。他にも沢山あったとしても、自らの純度をひたすら高めようと常に切磋琢磨している、その姿勢が凄い。唯一ではなくて、孤高。妥協の支配する有象無象には分からない世界」。 30分程走って、本日入るA地区へ。去年まで無かった立派な鹿よけネットが山のぐるりを取り囲んでいて驚く。一種異様な雰囲気だ。今回お世話になる地元の吉井さん曰く、駆除の成果が出たのか、今年はA地区の鹿は激減しているそうだが、ネットを嫌って移動を始めたのかもしれない。 僕がここを選んだ理由は、そういう評価が現地に定着しているなら、恐らく他のハンターがあまり入っていないだろうという読み。猟期に入って半月経つので、他の地区から鹿がそろそろ逃げ込んで来ているのでは・・・ 更には、下の鹿が獲られたなら、上の鹿がそろそろ降りて来ているはず。 車を停めてまずは林道を歩く事にする。右の林道と左の林道を挟んで500mそこそこの山がある。傾斜はかなり急。左の林道の奥に伐採地で丸裸になった斜面があるという事なので、その斜面際で採食して木立に戻って反芻している個体に右の林道から山を超えて忍び寄るプランだ。 車を停めたところで準備をしていると、すぐ上の木立で鹿の様な足音がした。登ってみるがアライグマの足跡だらけで鹿の跡が少ない。上がってすぐがネットなので、居たとすればネット際を林道の上(かみ)へ移動したか。 「ヒロさん、ここ、以前吉井さんと一緒に来ましたよね?あの時と比べると劇的に跡が減ってますね」 「うん。去年と比べても少ない。ちょっと歩くと長靴が糞で緑色になるぐらいだったのに。でも、僕の猟隊が入ってる姫路も、僕が見る限りでは今年は跡が少ないんですよ。駆除は多かったらしいから、皆は数は多い、増えてるって言うんだけど、僕は確実に減っていると思う」 途中、道の左手に伐採跡があって、適当な具合に下草が伸びていた。鹿が好みそうな場所なので、跡を辿ってみることにする。 「あー、こんなに立派にネット張ってるのに、この川のここに手を打っていないなんて、通って下さいといわんばかりだ・・・ほら、ヒロさん、ここ。やっぱり通いにされてるでしょう」 「ほんと(笑)。見事ですね」 「じゃあ、これを辿ってみましょうか」 「いいっすね」 完璧に一歩も過たず、鹿の足跡をトレースしてゆく。 この歩き方、見るポイント、跡と周囲とを見る割合、上がるスピード。すべてが僕の知りたかった事だ。言葉でどれだけ教えてもらっても分からない。師匠の動きの一つ一つが正に求めていた答えだ。 感動しながらも、自分なりに今朝通った群れのイメージを読み取ってゆく。師匠の観察と大体は合致していたが、 「ほら、ここ。この道はブタ(イノシシ)も使ってる」 これが分からない。後ろ爪の跡も判然としないし、鹿との区別が難しい。じっくり見たら分かる・・・(?)・・・けど、歩いてゆく中、乱れた跡の中でシシを見つけ出せるとは・・・やっぱり凄い。 本来上の方で回遊しているはずの子鹿の足跡が低地に多い。予測通り、下の強い牡のグループが獲られて降りて来やすくなっているのではないか。 姫路では鹿は明らかにシシを嫌っている跡が見えるのだが、こっちは行動圏が重なっているように見受ける。ほぼ全てが杉の植林で、割合じめじめした場所が無いせいだろうか。 グループの足跡が、いったん斜面を斜めに上がって、トラバースしながら伐採の中腹に出ている。そこからまた斜め下に降りている。身体を隠しながら移動出来る木立は下の方にもあるのに、何故わざわざ中腹まで上がるのだろう。 僕の考えを見通したのか、 「ヤツらは人間みたいに楽をしようとは絶対に思わないんですよ。確実に安全なコースを通るんです」 彼らが通った伐採際の中腹で回りを見渡してみる。 なるほど、自らの身体は隠しながらも、見事に外敵を見渡せる。もし危険が来ても尾根の裏にも回り込めるし、逃げ込める場所が非常に沢山ある。 通いの出来ている場所というのは、そこで無いといけない必然性があるということか。 本を読むより人に聞くよりも、通いのある場所をジックリと観察する方が、無限の答えが眠っている。 〜つづく〜 ■
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by oglala-beads
| 2009-12-10 13:08
| 師匠との初猟
「青空に柿」
12月1日(その1)。 夜行バスで朝8時過ぎに、大阪は難波のOCATに到着する師匠を迎えに行く。 OCATのウェブを見ても、阪神高速1号環状線を降りてからのアクセスが出ていないので、事前にgoogle mapで道の感じを調べていた。ランプを降りて右にUを切る感じの様だが、よく分からない。まあ、降りたら何かしらの看板があるだろう・・・と楽観していたのだが、ランプ出口に駐車場等の看板見当たらず。右に回り込むと何とか入り口を発見。こういう不親切さが大阪だ。 車に銃を置いておくと法律違反なので、カバーを被せて肩に背負ってゆく。3日間、着た切り雀の着替え無しを決め込んでいたので、猟装の上にドカジャンを着込んだままだ。銃カバーといっても単なるウールの布1枚なので、よく見たら銃と分かる。案の上、ガードマンが回りをうろついている。 久々に会う師匠は白髪が増えた。水上では一時、毎日の様に熊の駆除が出た様だし、それをほぼ一手に引き受けている心労も大変なものだろう。 電車等、狭い場所に長時間入れられているのが苦手な師匠だが、案外よく眠れたそうだ。ただ、乗車後すぐに暗くなったそうで、DVDを観ようとしていただけに閉口したらしい。 「ウェブで見るより座席が狭かった」 「それは師匠の身体が大きいからです」 OCATからの阪神高速へのアクセスが事前にどう調べても分からなかったので、適当に走らせる。御堂筋とは逆に北方向への道を見付けて北上。途中ランプ入り口が小さい看板で突然出て来て行き過ぎてしまう。Uターンさせるとアメリカ村に入っていく形になったので、朝の三角公園界隈の人を楽しむ事が出来た。 「女の子、足細いなあ〜」 「・・・あの自転車の子、すんごいX脚で運転してる・・・」 「細いから目立つね」 環状に乗り、事前に調べた通り、池田線にも無事に入る。中国道には一般道を経由する様だが、よく分からない。案の上、間違えて万博方面に出てしまう。本日二回目のUターンだ。それでも何とか中国道の西行きに入る。西進しながら途中SAに入るとタコ焼き屋があった。前回で相当はまったらしく、喜んで買う師匠。 「あ、僕は腹具合悪いんでやめときます。ほら、これ食ってるぐらいだから」 「ああ、俺があげたキハダね(笑)。苦いでしょう。慣れました?」 「いや、普通に食えますよ。元々胃腸弱いから、今やこれ無いと不安ですわ」 「(笑)・・・すげえな。今度、大きな状態で送りますよ」 「すんません、助かります」 本線に戻って西進。吉川JCTで舞鶴道に乗り換え、春日でナンチャラ道に乗り換えて朝来を目指す・・・積もりが、話に夢中になってるうちに吉川を通り過ぎる。前夜に寝ていなかったせいか、どうも頭がシャープでない。回らない頭で善後策を考え、西脇から175を北進することにする。普段高速を使わないので本当はその方が楽だ。いや、でもそれなら福崎で降りてR312を北進して、生野でたいこ弁当の駅ソバを食べてもらおう・・・ 道に迷ったせいで時間が余分にかかっていたので、播但道を生野まで上がりながら界隈の山の説明をする。 「ほら、黒木ばっかりでしょう」 「・・・ですね。・・・ああ、こんな葉っぱが残ってたら、やりにくくて仕方ないな〜」 「北の方もこんな感じですよ。水上は?」 「もう全部落ちてますよ。雪はまだだけど。・・・あのピョコピョコ飛び出してる枯れた樹、あれ何?」 「なんだろう?松ですかね?この界隈は松食い虫の被害がすごいみたいですが」 生野出口を降りてすぐのタイコ弁当へ。朝ご飯兼昼ご飯に、駅ソバを食べてもらう。 関西圏だかこの界隈だけだか知らないが、たいこ弁当は兵庫の田舎の国道沿いによくある。トラック運転手がメインの客層なのか、早朝などでも開いている。 弁当も置いているのだが、店内で食べさせるのが主で、そこそこの数のテーブルが置かれている。演歌とかナイター中継が似合う店だが、今時の曲が流れている。 ここの「駅ソバ」にはまっていて、見かける度に入って食べている。他のメニューはそれほど安くないのに、駅ソバだけは130円と非常に得だし、そこそこお腹も張る。 レジで注文して出来上がりを待っていると、中途半端な時間(10時30分頃)という事もあり、店内には客は少なかった。ラフな服装の中南米系っぽい外国人の女性とスーツを着た日本人の男が会話をしている。最初、女性が自身の生活状況について敬語でポツポツと語っているので、入管の面談かと思ったが、どうもどこかの会社の面接らしい。そのうちスタッドレスタイヤを着けているか、とか、娘さんは日本語の読み書きが出来るか等、実質的な会話になっていった。窓外の初冬の風景と女性の薄汚れた緑色のジャンパーが、冬の青空に柿の様だった。 「いや〜!いけたね!美味かった!なんか、はまる味だね!」 「でしょう!はまってもとるんですよ」 「わかる、わかる!最初味が薄いな〜って思ったけど、慣れてきた」 「え?薄いすか?関西では濃い方なんすよ」 「あ〜、そうなんだ・・・。ラーメンとソバのミックスみたいで変わってますよね」 「そうそう!かつおダシの中に中華そばと天かすが浮いてる感じ」 「(笑)また食べに来たいな〜!」 「ところで、そろそろ猟場近いので、そろそろ用意しときますか」 「了解!じゃあ、着替えましょう!」 〜つづく〜 ■
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by oglala-beads
| 2009-12-09 11:24
| 師匠との初猟
〜今日から何回かに分けて、12月1日〜12月3日までの師匠との猟の事を書いてゆきます。が、現在制作状況が切迫している為、連続して書く事が出来ないと思います。とびとびになると思われます。〜
皮を自分で鞣す様になってから3年になるだろうか。その辺りのイキサツはリンクからインタビューに飛んで頂きたい。文中に出て来る群馬の熊ハンターが僕の恩人であり師匠の通称タツさん。水上温泉の有名な料理旅館「尚文」の板長の阿部達也さんである。 彼とはミクシで知り合ってお互い感じるところがあったのだろう。駆除で出た熊の生皮をもらったのが、僕にとっての初めての鞣しとなった。 途中、僕の生命線である手をケガし、作業が上手くいかなかったり猛烈にしんどかったりで一度は継続を諦めた。その時に「いや、岡居さんは途中で諦める人じゃないですよ。俺、信じてますから。まあ、ケガが治るまでゆっくりして下さい」と喝を入れられた。 今にして思えば、当時の技術と道具で、よくも最後までやり通したと思う。我ながら半端な根性では無かった。熊の鞣しはあらゆる動物の中でも難易度が高い。それをアメリカの鞣し友人達からのメールを通じたアドバイスだけでやり遂げたのだから。 今でこそ、ちょっと鉄砲の具合が悪いと「お金出してあげるから、新しいのを買い!」と言ってくれたり(この話はウチの猟隊でも時々「岡居の嫁はん凄い」と笑いながら語られている)、夜中に弁当を作ってくれたりと、心からのサポートをしてくれている配偶者も、当時は大反対だって、「ケガしたら仕事はどうするの!」ととても家庭の空気が険悪だった。ケガした夜に大嵐が吹いて(今にして思えば熊嵐だったのだろう)熊の毛皮を干してあるテントが飛びそうになった時にも無視されていたので、縫ったばかりの使えない右手を泥だらけにして、一人でずぶ濡れになってテントを押さえた。 実家の母も今では理解してくれているが、当時は似た様なものだった。 やり遂げる事が出来たのは、自分を信じてくれている人の存在が大きかった。眠っていた底力を、師匠が引き出してくれた。恩人でもある由縁である。この出会いが無ければ、今頃オグララは無かったかもしれない。この仕事は中途半端な人間が出来るものでは無いからだ。そして今や猟と鞣しは、欠く事の出来ない仕事の一工程になっているからだ。 鞣しを始めたのだから次は猟・・・というのは皆が思っていた事らしいのだが、現実には大きな距離があった。そこに至った心境の変化についてもインタビューの方を見て頂きたいのだが、本当言うと、水上での初猟に参加した後でも、自分が猟師になるとは露にも思っていなかった。むしろ精神的には遠のいた様に思う。 実は、この時のひっかかり、自分と猟が結びつかない違和感を、僕は今だに引きずっていて、それは猟に出る度に感じていた。 この違和感の来る場所は、端的に言うと、自分が個人主義でありチームプレーに向いていない事に尽きると思う。初年度は自分の猟隊だけで無く、他の猟隊に参加しても、「猟隊」というもの自体に違和感を感じる事が多かった。更には、熊がメインターゲットである、師匠の猟隊での緊張感を経験していたので、軽く見ていたところもあった。 それが、今年になって猟隊に後輩が入った事もあり、自分の猟隊での立ち位置が分かって来て、次第に楽しくなってきた。そうした自分の変化を、猟隊の皆も感じている様だ。 僕と猟隊との距離は次第に縮まって来ているのだが、それでも溝の様なものの存在を感じる事は多かったし、埋まりつつあるその溝も、作ったのが自分だということも良く分かっていた。 その溝は、僕が師匠の物事の考え方に薫陶している事によって出来ている。その師匠の方法論と猟隊の方法論との違いを自分なりにどう処理すれば良いのか、が今年の猟期の課題の一つだった。 その師匠が仕事の休みを見付けて、兵庫県の狩猟者登録をして、一緒に猟に入ってくれることになった。僕に単独猟のやり方を教えてくれると共に、兵庫の山を覚えて、今後のアドバイスをしやすくしておくのが、その目的だ。 〜つづく〜 ■
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by oglala-beads
| 2009-12-07 15:48
| 師匠との初猟
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