人のシュウキョウをわらうな

先日、親しい方がお葬式に出席された折りの話を聞かせてくれました。
キリスト教式だったそうですが、故人は神社仏閣の研究に一生を捧げた方だったそうです。

私の実家は、クリスマスを祝って年越しは神社に参る、ごく普通の日本の仏教徒です。多分、そういう育ちの方が、今の神戸市を見ると、ある特定の新興宗教に対して胡散臭げな目を持つのは仕方ないと思います。なにせ市役所向かいに大きなビルが二つもあり、新聞社、テレビ局、はたまた市まで取込まれている様相なので。私もそんな感じでした。
その新興宗教は、私の住んでいる村にも信徒がおられるのですが、その互助体制を見ていると、ああ、悪いものではないなあ、むしろ自分が最後に天涯孤独になったら入信したいとも思う様にさえなりました。
一人暮らしの方が孤立しない様に、かならず会話しながら毎朝宗教の新聞を配ったり、葬式の際には周辺信者で手厚く送ったり。
田舎には元々の互助体制があって、私の村でも葬式が出ると、両隣の家は座敷を開放してお坊さんをもてなしたり、隣保総出で式を手伝います。でも、うちの様に村の檀家では無い家は正直どうなんだろうと思います。過疎、超高齢化でその体制も維持は難しいでしょうね。
うちは子孫の存続が既に難しいので、墓の永代供養代を既に払ってお願いをしているのですが、それでも参る人が居ないと無縁仏として寺の一角に墓が積み上げられるそうです。

互助体制、すべてが繋がって生きているのは動物だけではなく、人もそうだなと宗教一つとっても思わされます。

ところで冒頭のお話。何故、そんな方が亡くなる寸前になってクリスチャンの洗礼を受けたのか。実は彼の家族は、彼以外皆、家族の影響でクリスチャンだったそうなのです。つまり、、、分かるでしょうか?彼の家族に対するすごく大きな愛情。
その話を聞いた時、辛すぎて思わず、、、まあ私は涙もろいのですがね。それにしても。
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by oglala-beads | 2013-11-06 15:07
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