<   2010年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧

prayer's necklace pouch

年内最後の商品をFUNNY IMP店に出荷しました。内容は作業日誌にてご確認下さい。


歳のせいなのか、なにか他に理由があるのか、自分が経験していないことを語ったり、人の言葉で何かを語ったりするのが難しくなってきた。当然、ラコタの伝承や図柄などは、つきつめれば僕の体を流れていない、他人の血であるので、概念としては分かるのだけど、血肉を伴った理解からは遠く、所詮は対岸の火事を見る様なものであり、濾過して蒸留させた上澄み液を呑む文化人が嘯くラコタ語の思想となんらかわるところはない。
それでも、外国人文化継承者になることを請われた時から、自分なりに努力して、彼らの精神世界や神話等の、表面的な事はもとより、すべての裏舞台である当時の情勢、対インディアンとの各国の交易や、ヨーロッパの服飾や風俗、伝染病に関してすら専門家と情報交換出来る程にはなった。
それが全く役に立っていないとは思わないし、むしろそれがあったからこそ、謎の多い模様や色が本来意味する所も、なんとなく掴める様にはなり、日々その感覚が製作上の地図になっている。
ところが、これらは単に、血肉や自分自身の体験という方位磁石を欠いた地図でしかなくて、世界地図を拡げて、すべて憶測で現在地と目的地を決めなくてはならず、これが制作ストレスの基になっていた。思えば、この頃が一番雄弁だった様だ。他人の言葉なので、本で読んだまま、事の真偽を自分で確認することもなく、ただ語れば良いのだから。
それが、僕自身が猟を始めて、狩猟民族の彼らの背中を追い始めたことで、昔の言い伝え等がスっと心に入る様になり、まず地図自体が、同じ事が書かれているにもかかわらず、自分にとって使いやすいものになった。登山地図が25000分の一地図になったほどの変化だった。そしていつの間にか真新しい方位磁石を握りしめていた。その磁石を、何度も何度も自分の中で反芻し、自省し、トレーニングを積んだことで、自分の現在地が分かる様になってきた。
今、自分は山の入り口を少しこえたところに実際に立っていて、現実に靴が地面を噛み、土や落ち葉や動物の糞を、靴底のパターンの中に巻き込んでいっている。岩の上は滑る。沢よりも尾根の方が歩きやすい。
そうなると、他人の地図に書かれてある事を語るのがどれほど難しい事になったか、想像に難くないだろう。同じ事を言っていても、ラコタ語でミタクエオヤシンと言えば仲間を集めやすい事を分かってはいても、自分自身の血肉の通った言葉を探すか、それが出来なければ口を閉ざしてしまう。

これで一番困るのが、商品製作の際の柄。特に少し前からmedicine necklace pouchに関しては毎回「何かが違う」という感覚を残しつつの制作だったことを白状する。それが今回、完全に手が止まってしまった。作れない。腕組みしたまま、唸る日が続く。
何をやっても駄目なので、一度、この土台をベースにして、今やりたいことをやってみることにした。心の声に耳を傾ける・・・というより、指が動くままに作り始め、途中からは盛り込んでいった意味にワクワクしたり、自分で自分を煽って興奮したりしながら、僕の「今」を完成させる事が出来た。

prayer's necklace pouch, original version
e0114922_18524896.jpg


横面には緑の大地の上を今も闊歩する死んでいった鹿達。
背面には、彼らにとっての約束の場所、安住の地をモチーフにした模様。
すべて、アンティークのヴェネチア・ビーズで埋めた。
蓋は取り払い、フリンジの飾りは除いた。

作れた。これこそが自分のネックレスポーチだ。

精神世界というのは、各々個々人によって異なるから、誰かの答えが他の誰かの答えにはなり得ない、というのが僕の持論で、それはこのポーチにもあてはまると思う。ただこれが僕の答えというだけなのだけど、少なくとも非常に純粋で純度の高い言葉であって、このブログを昔から読んでいる人の中には、これまで以上の共鳴を感じてくれる方がいるかもしれない。

さて、これが出来た事で、通常の販売をするためのネックレスポーチの制作が容易になった。
出来た柄は二つ。一つは顔。
e0114922_18532772.jpg

そしてもう一つは足跡。
e0114922_18534621.jpg

名前も、medicine necklace pouch から、prayer's necklace pouch に変更した。
[PR]
by oglala-beads | 2010-12-28 18:54

仲間

猟仲間が二人泊まりに来て、皆でうちの山に猟に入った。
途中、放置された大きな囲いワナに、あやまって入り込んでしまっていた子鹿を救出した。
「鹿猟をしとるのに、この心理、人に説明するのは難しいな」
しかし、人の手に触られたショックか、外に出してしばらく後に子鹿は死んだ。

川のふちで、弱って動けなくなっている、非常に高齢のメス鹿を見つけた。
「生きたまま、小動物に食べられていくよりは・・・」と後輩がとどめをさしに行く。
老鹿の最期に黙礼し、見上げると、朝からの氷雨が上がり、彼女が暮らしていた東の山の狭間に虹がかかっていた。

「そういえば誰もさっきの歯をとらなかったけど、良かったんか?」
現在、兵庫県では鹿をとって歯を役所に提出すると、報奨金が出る。
「僕ら3人とも、そんなもんのために猟しとるんと違います」
[PR]
by oglala-beads | 2010-12-16 12:17

勝手に自省

新銃MSS20は日本のメーカー製。M870はアメリカのメーカー製。
それでとは言えないと思うが、870が「かまへん、かまへん、適当でええねん!まかしとき!わはは!」みたいなフトコロ深さがあるのに対して、MSS20は繊細で、ちょっとでも扱いを間違えると「聞いてませんから」と拒絶して来る冷たさがある。両者の違いが、猟場での突発的な自体にどう影響するか、若干心に雨雲が過るのを感じる。
僕の商品とラコタの作品の違いにも、商品の丈夫さ等技術的部分では無く感性の遊びの部分に於いて、こういうのがあるかもしれないな、と思う。最近、より繊細な方向に向いているが、必ずしもラコタのクラフトの目指す向きではないかもしれない。

両者の違いは結果にも出ていて、MSS20は意図した所にだいたい入るが、870は必要な範囲内にはおさまるが適当。猟の時は相手のある事なので正確さというのは自分には重要だから最良の選択だったけど、射撃に限定すれば870の適当さは案外それはそれで楽しかった。狙ったところに行く割に、MSS20での射撃は不思議と面白みに欠ける気がした。
早く面白みを感じる事が出来る程に、愛着をもって使いこなせる様練習を重ねたい。

スコープの調整を終え、ライフル用の小さな的紙を、50mのライフル射場に貼り、委託無しの立ち撃ちで5発打ち込む。最初の3発はど真ん中、10点に完全に重なって入った。ワン・ホールというヤツだ。想像以上の快挙に「スゲ〜」っと自分で小さくガッツポーズをしていると、それまで他のレーンでコソコソと観察していたライフルの人達が、僕の後ろにワラワラと集って来て、口々になんだかんだと批評し始めた。僕はこういったギャラリーがすごく苦手で、いつもペースを乱されてしまう。今回も、その後の2発は6点、8点に入ってしまった。6点を撃った時は、撃った瞬間に自分で銃口がぶれたのが分かった。最後の8点は、どう頑張っても銃口が止まらなかったので、もうアキラメテ適当に撃った。
スラッグ用の大きな的紙と違い、ライフル用の的紙での6点は直径8センチの世界だし、実際の猟の時の集中力は、M870でも射場での最高点以上のところに弾がいく。だから気にする事はないんだけど、人目がどうしても気になるのが自分の弱さだなぁと痛感する。
なんでもかんでも仕事に結びつけて勝手に自省するのもどうかとは思うのだけど、仕事でもやっぱり、誰かをうならせようとか、人が驚くものとか、そんな風に人目を気にして作った時はろくなものにはなっていない様に思う。
[PR]
by oglala-beads | 2010-12-05 15:32