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見切り

 ここ数回の記事に関して、多くの方から激励のメールを頂きました。誠に有り難うございます。
 自分自身の葛藤であり、しかもその焦点は絶えず移り変わっているので、なかなか連帯感を持つ事が出来ず、言葉面だけのお礼のメールを送る気になれません。お気持ちは心から感謝いたしております。誠に勝手ですが、どうか見守って頂けたらと思います。
 それにしても、なかなか仕事には結びついていませんね(笑)。仕事の為の猟なので、これで仕事の依頼が増えてくれると嬉しいのですが。



 今週は単独で山に入って来ました。
 兵庫での猟は犬を使うのが常識ですが、私は犬を使う猟に抵抗感があります。師匠のタツさんの様に、獲物の心を読む猟が目標です。しかし、こちらでは「今日、この山やろか」で犬を適当に入れても鹿が獲れてしまう。先輩の経験と犬の能力に頼り切りで、間違うと何も考えなくなってしまう。そこで誰かが情報をくれる事を待つのでは無く、自分で納得出来る行動をとる事にしました。
 こちらの山には暗黙の縄張りがあり、外部者が入ると色々と面倒な事もあります。そこで単独でも猟隊の山に入るのですが、盲滅法に入って獲物を散らすと隊に迷惑がかかるので、事前に大体の山を申告しておきました。
 今回は実際に獲物を獲る事が目的では無く、山を覚える事、獲物の痕跡を探して彼らの生活を知る事、そして余力があれば先回りをして彼らに出会ってみる事が目標でした。なので事前に師匠に相談した際に、
「今回は猟具を置いて行こうと思うんですけど。むしろカメラもって行こうかな」
「いや、猟具は持って入った方が良い。こちらが発する気が変わってしまうから」
というやりとりがありました。

 一昨年、師匠に教えてもらった跡の見方、そして前日に獲物の大体の行動パターンを聞いて、予測をつけて山に入りました。
 結果としては、山を歩く為の安全面で多くの課題を残しましたが(崖で滑落して腰を強打したりしました)、イノシシを2度、鹿を1度、共に偶然では無く必然的に射程距離で観察する事が出来ました。鹿は子鹿で触る事の出来る位の距離でしたが、必死の様子が可笑しくて可笑しくて「撃たへんから、はよ逃げぇや(笑)」と逃がしました。
 他にも、イノシシの場所、鹿の場所、そして混在している場所の各ポイントが空気だけで分かる様になった事、師匠が予測した「多分こういう場所に居る」というのが非常に正確で笑ってしまったこと、そのお陰で予測が出来る様になったこと、数多くの痕跡を見、その新旧を判別して予測し、獲物の先回りが実際に出来た事等、たった一日ながら数多くの成果がありました。
 また、これは私にとってだけなのか他の人にとってもなのか分かりませんが、午前中、しかも出来るだけ早い時間の方が山の空気が怖く無い事も分かりました。
 昼前に下山し、それからは午前中得た知識で居そうな場所を特定し、自分の予測が正しいかどうかの答え合わせをする為に痕跡を探しました。次週は猟隊の集合時間前に夜明け前から、今回目星をつけた場所に張り込んで、時間と場所との予測が出来る様になれたらと考えています。


 先週はとても難しくて、なかなか手をつける事が出来なかったオーダーを仕上げる事が出来て、ほっとしました。また近いうちに作業日誌に掲載出来ればと考えています。商品は時計バンドなのですが、Gショックに合わせたいという事で・・・普通なら断るオーダーなのですが、是非にと押し切られ・・・まあ作業日誌で楽しみにしていて下さい。
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by oglala-beads | 2009-01-26 19:04 | 狩猟関連

師匠は山の如く・・・

アメリカの取引先で買った解体用ナイフと皮むき用のナイフに鞘がついていなかったので自作しました。まずは解体用ナイフから。画像は作業日誌かウェブにて。


猟の師匠、群馬の猟師のタツさんには「ヒロさん、いっぱい悩んでよ!」と言われていますが、猟を始めてから本当に色々悩んでいます。ただ、ここで書ける事と書けない事とがあって、ちょっと何を書いたら良いか分かりません。なので、追々形になったものから書いてゆこうと考えています。


それにしても、自分がその世界に入って、知れば知る程、師匠のタツさんの偉大さが山の様です。今までは師匠しか知らなかったから、それが標準だったのだけど、深い考えも無く毎週猟に行って、毎回肉を持って帰っていると、段々と自分の中に甘さが生まれて来ているのが分かります。初めて入ったタツメでは本当に髪の毛一本動かさなかったですが、今では・・・。自分がやりたかったのは本当にこんなスタイルだったのか?鹿の猟期はあと一ヶ月ちょっと。自分のことなのだから、自分自身で、悔いを残さない様、動いてゆこうと思います。
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by oglala-beads | 2009-01-19 13:08

葛藤

300メートル程の崖をよじ登る。振り向くと転がり落ちそうだ。今年一番の寒さでも脂汗は止まらない。出掛けに配偶者が「こんな寒い中、しんどい思いしに行って、何が楽しいん?」と呆れ顔だったのを思い出す。
「ハアハア・・・まったくその通りだよ(笑)・・・革だって普通にアメリカのブレインタンナーから輸入した方がよっぽど安いし・・・鞣すなら原皮をくれる人はいくらでも居る・・・ハアハア・・・大体、クロム鞣しの革が悪い訳でもないし・・・おっと危ない、落石だ・・・俺は一体どこに向かおうとしとるんだ?・・・」

ようやく登り切って窪地を見付け、タツメを張る。犬が放たれる。30分程で下から二番目のタツメが火を吹く。5発。しばらく待つが無線が入らない。と3番目のタツメが火を吹く。4発。
「・・・すいません、遠すぎて・・・逃がしました。岡居さん、よろしく」
「了解」

待つ程も無く、4時の方向に程よい大きさの牡鹿が出て来た。身体の割には小さくて妙な形の角だ。距離70ちょっと。前のイノシシより大きいし、いわゆる目をつむっていても当たりそうなものだ。人差し指の腹で安全を解除して指先で引き金を引く。・・・しまった、手前の木に当たった・・・第二弾・・・え?外れた?・・・第三弾・・・手前の崖に潜られる。弾切れ。次の三発を込めて出てくるであろうポイントに身体を向ける・・・出た・・・安全解除、発射・・・え?また外した?・・・鹿が振り向き、立ち止まる。じっとこちらを見ている。今まで見えている時は僕がほとんど動かなかったので僕の位置が分からなかったのだろう。・・・狙って第5弾・・・心臓のすぐ下辺りにあった土塊に着弾したのが見えた・・・瞬間、身を翻して遠ざかった。次に姿が見えたのは300メートルほど先。次のタツメがその界隈に張っているのであきらめる。

「申し訳ない、そっち行きました」
「血ひいてます?」
「確認出来ませんが、おそらくかすってもいません」

何で?俺って初心者離れした腕じゃなかったの?天才じゃなかったの?焦った?いや、充分狙える時間はあった・・・もう、こうなるとまったく当たる気がしない。「あちこちで、おだてられたり驚かれたりヤキモチ焼かれたりして、思い上がってたな」。先週とは違う質の落ち込みだ。

帰り道、車の中で一発一発をジックリと思い出して気付いた。慢心も勿論だけど、心の弱さが原因ではないか。樹にあたったのは除いて、照準越しに見る姿は前回のイノシシよりかなり大きかった。イノシシの時よりも冷静だったし構えもしっかりしていたと思う。ただ、「一発で楽に」の思いが強すぎて狙い過ぎていた。

先週のイノシシは本当にショックだった。水曜あたりまでは悲鳴と腸の色が夢にまで出て来てうなされ続けた。帰還兵みたいに、ふとした拍子に思い出して黙り込んでしまう。でも半分位肉を食べた頃から、徐々に気が楽になってきた。しかしそう簡単には消えなかった様だ。今回は最初から忘れ物だらけで妙だった。鹿が出ても姿がだぶって、腸や肩甲骨に当てない様に、無意識に前の下気味を狙っていた様だ。肩甲骨を狙っていたら誤差を考えても充分仕留められていただろう。でも前足の支えを失って崖を転がり落ちてきたあのイノシシの姿がだぶってしまう。これは僕の病気になるかもしれない。


「・・・で、その鹿は最後どうなったの?」
「ああ、どっち行こうかじっと考えてる時に、犬が追尾しているのを確認して、途端に向きを変えて川に出てん。匂いを消すためにな。で、出て来たところを副会長に仕留められた」
「・・・」
「どうした」
「泣いとるんか?」
「・・・だって・・・」

家族からしても前回の猟はショックだったのだろう。だから頭では分かっていても、現実には葛藤している。命に対してデリケートになっているのが分かる。
家族は僕以上に、一番辛い思いをしていると思う。それでも支えてくれている。猟から帰ったら、温かい笑顔と食事、風呂で迎えてくれる。猟の話はしない方が良いのだろうか。

「そういえば、前回の猟で辛かった話を猟隊でしてんけど、そしたら地元の人達で駆除にも参加している内部の人達には笑い飛ばされた。他の市から来てる外部の人と、あと、若い鈴木君は”わかる、わかる”って熱心に聞いてくれてたわ。地元の人達はそれほど鹿に対して憎しみを感じてるんやろう」
「・・・あんな可愛いのに」
「でもな、俺らからしたら可愛い野良猫も、嫌いな人からしたら憎しみの対象やで」
「・・・私の場合、ネズミがあかんわ」
「俺からしたらネズミは可愛い。自分ちも昔ネズミが沢山出たんやろう?」
「もうすごかったよ!」
「結構えげつない殺し方もしたって言ってたやん?その時に・・・」
「可哀想なんて思わなかった」
「そういう事やと思うねん。前の猟の前に、ブログでも少し書いた川で子鹿を殺した話な、あれ、俺が最後まで見れなかった話を皆にしてん」
「うん」
「そしたら、”今度から頭を殴って気絶させる係は岡居に任せよう”って」
「え〜!!!!」
「いや、段々慣れさせてくれって言ったし、・・・正直慣れたくないし・・・だから俺には罠は無向いてないかもしれん・・・なんせ鈴木君が助け舟出してくれた」
「なんて?」
「そんなの最初からやらせたらトラウマになるって」
「それで落ち着いたみたいなんだけど、そしたら副会長が、”ワシは殴って気絶させてから腹割くけどな、誰々さんなんかは、気絶させんでもええ、そのまま腹割け言うんや。生きて意識あるままや。あれはワシもようせん”言ってた」
「生きたままに意味はあるん?」
「血が楽に抜けるってのはあるやろう。でもな・・・・」
「・・・・」
「ただ、やなあ。繰り返すが、相手がネズミだったら?」
「生きたまま云々は抵抗あるし、殺すところも見たく無い。ただ、それは可哀想だからでは無くて、気持ち悪いから見たくない」
「そういうこっちゃ。俺はネズミでも殺したくない。迷惑受けてない俺からしたら可愛いからな。殺す必要があるなら瞬間で楽にしてやりたい」


昨今、命を喰う(”頂く”と綺麗な言葉を使っているが)事をキチンと捉えようとする風潮があって、それは多分いいことだと思います。ただ、私が今、思うに、頭の中での想像や理想と、現実に自ら決断して手を下す事の間には天と地ほどの大きな隔たりがあると思います。
私は全ての人に体験して欲しいとは思いません。苦手な人は出来る人に任せれば良いと思う。そうやって分業が出来上がっていて社会があるのだから。でも、任せる以上、それが出来る人を後ろ指さすのはいかがなものかと思います。
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by oglala-beads | 2009-01-12 18:05 | 狩猟関連

歎異抄

「・・・ 嫌なこと面倒なことを全部人任せにしている自分に気付きました・・・」(FUNNYウェブサイト内”SPIRITS”岡居宏顕インタビューより)


前2回の猟は、精神的にも物理的にも準備が整っていなくて、自分の持ち場に獲物が来ない事を祈っていた有様だった。それが3回目の前夜は妙な自信に満ちていて「明日は獲れる」という確信から来る緊張で眠れなかった。「どんな獲物でも来い」という意気込みで、猟場へ普段より大分早く到着した。待つ程も無く他のメンバーも到着。と、一台の軽トラの荷台に鹿が見える。動いている。
「途中で拾った」子鹿は手足を一つに縛られている。可愛い目をしている。ピーピー言って助けを求めている。
「あはは、可愛い」どないすんねやろ?と見ていると、「川に連れてけや」で、荷台から引きずり下ろされる。ピーピー言って助けを求めながら、子鹿は殺されに川岸に引きずられていく。
「すんません、ちょっと駄目」最後まで見る事が出来なかった。3回目の猟の意気込みも一気にしぼむ。でも「俺の前に出た獲物は、一撃で楽にしてやる」と誓って消えかけた火を再点火させようとする。
第一ラウンド。持ち場について四方を拝しながらお酒を撒く。「山にとっても僕にとっても必要なものを獲らせて下さい」。犬が放たれる。獲物の影は濃いが命がけの獲物の知恵が一歩勝って犬はキリキリ舞いだ。2時間程して静かになった頃、持ち場の横手の崖からガサガサという音と共に何かが降りて来た。距離30メートル。犬か?いや、イノシシだ。確認と同時に身体が勝手に安全装置を外して引き金を引いていた。轟音の次にはイノシシの悲鳴が聞こえる。イノシシは本当に痛そうに人の様な辛い悲鳴を上げる。火薬の多い一発弾で身体の真ん中に大穴が開き、腸が全て反対側に吹き出している。このまま放っておけば死ぬ。しかしビービーと叫び回る悲鳴に、身体が第二弾を薬室に送り込み発射。肩甲骨を砕き心臓を吹っ飛ばし、前足というものを無くしたイノシシは目の前の崖を転げ落ちる。駆け寄ると全身から火薬の煙が立ち上っている。まだ息がある。風船の様に胸を膨らませて息を吸おうとして苦しんでいる。頭をめがけて第三弾を放つ。頭と同時に下顎がすべて吹き飛ぶ。ようやく息絶えた。
近づいて見れば、まだ小さな子供だ。去年の春の子だ。柴犬を大きくしたぐらいか。コロと姿がだぶって、胸が苦しい。本来ならまだ親と行動を共にする時分だが、親は恐らくもう獲られて一人だったのだろう。腹を開いて内臓を取り出すと、脂肪が全然無くやせ細っていた。食い物の無いこの時期の山だ。長い期間何も食べてなかったのかもしれない。こんなに小さいのに疥癬(カイセン)にかかっていて毛が殆ど無かった。
初獲物の興奮はすぐにしぼみ、何とも言えない後悔の大波に襲われた。帰りの車で、あの悲鳴と吹き出した腸の色が何度も何度も蘇って来て涙が止まらなくなる。
「自分は今まで、こういう事を人任せにして、綺麗事で生きてきたんだ」。この免罪符ですらも、慰めにすらならない。涙と後悔が止まらない。自分がやろうとしている事は、こういう事なのだ。こうやって誰かが獲った鹿の皮を使っていたのだ。こうやって誰かが獲った肉を喰っていたのだ。子供どころか、ハラコなんて胎児だ。母親の腹を割いた時にはまだ生きている。人の営みというのはこういう事なのだ。涙が止まらない。でも、ある瞬間から浸りから抜け出す事が出来た。理屈じゃないんだ。
理屈付けをするならば、この子は殺して良かったのだと思う。それは親の待つ黄泉の国へ送ってやったという意味でも、飢えや病気の苦しみから救ってやったという訳でも無い。彼にとってはそれでも幸せだったかもしれないからだ。言えるのは唯一。「カイセンの感染をこれ以上増やさないため」。
浸りからは抜け出す事は出来たが、胸が苦しくて仕方が無い。あの悲鳴と腸の色は一生忘れないだろう。僕はこうして生きていく。この子のために。今まで僕の為に死んだ命の為に。
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by oglala-beads | 2009-01-04 22:11